命名力

すばらしい命名

 

「資本主義」いう言葉を初めて使った人はこの資本第一主義、資本体制のシステムを理解していたのでしょう。

そうでないと自由主義とか多労働者主義のような言葉が生まれてもおかしくないです。

この資本増加システムを理解していたから資本(第一)主義と表現したのでしょう。
ただ、これを命名したときはここまで資本の増加だけが進むシステムとは思ってもみなかったとも考えられます。単純に原理的には資本増加システムになっているということを主張しただけかも知れません。
 
それから資本増加システムが進むにつれて資本を増加させるには、最適な労働者が必要であり、それを生み出すには労働者として洗脳する教育が必要だということになったと考えられます。
 
現在の学校教育は労働者として洗脳するために十数年の教育を行っています。また、最適労働者を生み出すには資本増加の仕組みを労働者側へ理解させることはよくないということで、資本増加システムの仕組みに関する教育はほとんどなされません。
したがって、資本増加システムを理解している労働者はいません。
 
理解してしまうと労働者では割に合わないことがわかってしまい、労働者から離脱してしまうからです。特に優秀な人間ほど理解力があるので離脱してしまうことになり、労働者側に優秀な「労働者」がいなくなってします。優秀な「労働者」を育成するためには、ものごころがつく前から洗脳していくことになります。
 

騙しているわけではない

 
わかりやすく資本(第一)主義と命名されているのにこのシステム内で生きている大多数の人はつくりを理解していないということです。
 
まるで映画「マトリックス」と同じです。ただ、異なるのはマトリックスではそのシステムの名称をわかりやすく人々に示していないことです。「空想主義システム」のようなわかりやすい表現でシステム内にいる人々に示していないのです。システム内の人が空想システムであることが理解できないのも当然です。
 
しかし、資本主義は違います。「資本主義」と大々的に明言しています。システムの詳細は習いませんが、学校でも「資本主義」という言葉は教えら誰でも知っています。資本家側の言い分としては「資本主義と初めから言ってますけど・・・何か?」となります。
 
システムを理解しているものはごく少数で理解しているものに利益が集まるのです。これは当たり前といえば当たり前でシステムを作ったものあるいはシステムを理解しているものがわざわざ自分に不利益になることをしないということです。
 
マトリックスではあるきっかけでシステムの構造を理解したものがシステムを破壊することを目論見ますが、構造を理解したにもかかわらずシステムに戻るものも現れます。これは選択の自由ですからいいのですが、現在の資本主義は「資本主義」と明言しておいて(これで騙しているわけではない言い訳ができる)、原理を理解させない教育(洗脳)をして、無知な状態にして栄養を吸い取っているのです。
 

システムの終わりの始まり

 
資本増加システムも安い労働力が世界から消えたときに終焉となります。資本を増やすには合理的に考えて安い労働力を追い求めることになります。最終的に残る安い労働力はアフリカです。アフリカ諸国が資本増加システムの労働者として組み込まれたときに終わりの始まりになります。資本増加の最大原動力である「安い労働力」は世界からどんどん消えていき、最後に残るアフリカを攻め落としたところで資本増加動力を失うことになります。
 
それまでに画期的な資本増加動力源を見つけることができれば、終焉を回避できるかもしれませんが、最も簡単明快で最大の動力が「安い労働力」なためこれに代わるものはそうそう生まれないでしょう。
 
世界人口の減少がはじまる2100年には資本主義の終わりが始まります。