資本主義ってできすぎなシステムではないか?

空間すべてを商品化

 

あらゆるモノ、コトが商品化されていく世界、それが資本体制です。

 

一度商品化されるとそれを提供する側は、利潤を高めるため、

無駄を削ぎ落とし効率的に生産しようとします。

もう一つの利潤を高める方法として、

労働者を長時間働かせることがありますが、

現代ではこれは国際的にできないので

生産性を上げるしかありません。

 

ただ、生産性の上昇が労働者の給料上昇に

つながるわけではありません。

(多少は上がるでしょうが、微々たるものです)

それにもかかわらず、労働者はPDCAを回して、

生産性を上げようとします。

 

資本側にうまく啓蒙されています。

 

会社が潰れたらあなた方労働者は困るでしょ?

働くところがなくなったら、

どうやって暮らしていくのですか?

 

という論法です。

 

労働という商品

 

あらゆるモノ、コトが商品化されていく中、

何を買うにもするにもお金が必要になってきます。

お金を得るため労働者は

労働力という商品を提供し買い取ってもらいます。

しかし、これが等価交換になっていません。

資本の増加分も労働者側が提供しています。

つまり、労働者がもらう給料以上に

労働力を資本側に提供しているということです。

 

労働対価はその労働力が回復する最低賃金に落ち着きます。

残りの労働対価は資本を膨らませることに使われるだけです。

 

時間換算すること自体が間違っているのかもしれませんが、

一番わかりやすいので時間に例えると、

一日8時間労働であれば給料に見合う労働時間は

1/3でいいそうです。

つまり8/3=2.67時間、

一日3時間も働けば十分給料分は働いたことになります。

では残りの2/3の時間は何になるのかというと

資本を増やしているだけです。

資本主義は資本を増やすことが命題になっています。

したがって、おかしいことではありませんが・・・

 

会社は儲かりますが、

労働者が裕福になることを

そもそも求めているわけではないのです。

 

ただ、労働者から搾取し過ぎて新たに労働力という商品を提供できない状態に陥っては資本側も困ります。

また、逆に労働者側が裕福になり過ぎて、

働く必要性を感じなくなっても困るのです。

 

そこそこ肉体的にも精神的にも回復可能な最低限の報酬で給料は決定します。

つまり、労働者側が儲けた額で報酬が決まるわけではないのです。

 

人件費はその名が示すように「固定費」という扱いになっています。

儲けた額で決まるわけではないので

「固定」されているということです。

何とも嫌な表現になっています。

 

また、労働者側にはヒエラルキーがうまくつくられています。

資本側としては、

資本の歯車として単純に労働を提供して

資本を増やしてもらえばそれでいいのですが、

それだけでは資本を増やす分まで働くのは

割に合わないと考える労働者も出てきます。

そこで、役職という褒美、ヒエラルキーを与えることによって、

積極的に資本を増やす活動をする労働者には

役職を与えヒエラルキーの上位へ移動させます。

これもよくできたシステムです。

 

資本側の役目も担う労働側

 

生産性向上という本来、資本側が担う業務も、

役職を与えられた労働者自ら行うようになっています。

資本を増やす、利潤を高める一つの方法である

生産性を上げることも労働者側で実施しているのです。

 

当たり前にように労働者側で行っていますが、

本来、資本を増やす作業であるため、

資本側がコントロールして生産性を上げる方策を

とらなければならないことですが、

完全に洗脳され、

労働者自ら何とか生産性を上げるように努力し、

実施することになっています。

しかも、生産性が上がった分は資本が増加しているだけなのです。

 

そろそろこの不条理なシステムに

反旗を翻してもいいのではないでしょうか。