「がんばっている」とは主観的判断

がんばった、がんばっていないの境界線

 

結果がでるまでに、何らかの動きをして良い結果がでればがんばったとなりますが、良い結果がでなければ、かんばったのか、がんばっていないのかの判断はむずかしくなります。

 

結果がすべてで結果だけで判断するのであれば簡単です。

 

目標が達成できなければ、がんばったことにならないということです。

がんばりが足りなかったということです。

 

逆に結果がでるまで、何の動きもしていなくてたまたま良い結果が出たとすると、運がよかっただけで、がんばったことにはなりません。

 

「がんばった」に関しては結果だけで判断はできないことになります。



では、途中であきらめるとがんばったことにならないのでしょうか。

実際、がんばっても良い結果が実らないこともあります。

 

この場合、がんばったことにはならないのでしょうか。

がんばりが足りないのでしょうか。

 

本人はがんばっているのです。たまたま結果がでなかっただけです。

 

結果はよくなかったけど、よくがんばったとはならないのでしょうか。



がんばりの限界値

 

心身を壊すまでがんばってしまう人もいます。

心身は壊れているが目標は達成できていない、これはがんばったことになるのでしょうか。

 

結果は出ていませんが、がんばっているのは事実です。

これでもがんばりが足りないと言われるのでしょうか。

 

さらに、この心身を壊す限界値は人により異なります。

すぐに壊す人もいれば、耐性がある人もいます。

相対的なことになりますので、がんばり量も人により異なってきます。



では、そもそも「がんばる」とは何か?

 

なぜがんばる状況が生まれるのでしょうか。

好きでやっていることに「がんばる」感はありません。

がんばらなくても自然と自ら進んでどんどんやってしまうのです。

 

本人によーし、かんばるぞ!という認識はないのです。

無意識にそれをしてしまうのです。

 

好きな事なのでできるだけやりつづけたいのです。

 

でも、はたから見るとめちゃくちゃがんばっているように見えるのです。

本人にその意識はないのです。

 

つまり、好きではないことをするときに「がんばる」は発生します。

無理をしてやっているときに「がんばる」は発生します。

しかも、それは客観的なものではなく主観的なものです。

 

好きではない事なので、自然には体が動かないのです。気持ちも体もがんばらないとできないのです。

自ら進んでではなく、無理をしないとできないのです。

 

無理してがんばっていると神経はすり減っていきます。

 

好きな事だと徹夜しても何ともない(体的には疲れていますが)のに、無理してがんばってやっていることで徹夜すると精神的に疲弊します。

 

この違いです。

 

さらに、まわりから見てかんばっていることでも、当人からするとがんばってやっているわけではなく、好きだからしているだけということもあります。

 

がんばってる、がんばっていないは当人しか識別できません。

ただ、やっかいなのは、がんばっている、がんばっていないを当人以外が判断しようとするのです。

 

当人しかわからないものを、当人以外があいつはがんばっているとか、あいつはがんばりが足りないとか決めているのです。



過労死(KAROSHI)

 

食事をわすれ、寝る間を惜しんで何時間も趣味をやっていても、KAROSHIする人はいません。

趣味は好きな事なので精神的な疲労感はありません。

 

つまり、KAROSHIは時間の問題ではなく精神状態の問題です。

 

好きな事では精神がやむことはないのです。

では、なぜ好きでもない事をやらなければならないのでしょうか。

 

一番の問題はお金です。

 

食うに困らないお金があれば、嫌なことは断ればいいのです。

無理してする必要はありません。

 

義理を感じて行うことはありますが、それにも限度があります。精神的な疲労感を感じたら断ればいいのです。

 

ただし、これはお金があればの話になります。

 

生活ができない、家族を養えないレベルであれば、お金のために嫌なことでもしなければならないのです。

 

あるいはまわりが止めないかぎり、どこまでもかんばってしまうタイプの人もいます。

途中ですでにその人の限界(限界は人により異なる)を超えているのに、気付かず進んでしまうのです。

 

まわりを見る余裕すらない状態に追い込まれると、精神的な疲弊から冷静さを失い判断基準もおかしくなってきます。自分がすでに過労な状態に陥っていることもわからなくなってきます。冷静にみればいま自分が置かれている状況は異常な状態であることがわかるはずなのに、その判断ができない状態になってしまっているのです。

 

自分の気持ちが確認できて、お金があれば、嫌な仕事をやめても問題はありません。

仕事は他にいくらでもありますし、ひとりで仕事をはじめても問題ありません。



ひとり起業

 

1人で起業すれば決定権は自分になります。もちろん、お客様もいるのですべて好き勝手にできるわけではありませんが、ほとんどのことは自分が思うように行っても問題になることはありません。

決定権はひとり社長であるあなたにあるのですから。

 

嫌な仕事は受けなければいいだけです。断ってもだれにも文句を言われることはありません。

 

ひとり法人であれば節税効果もあり、想像しているより食うに困ることはありません。

ひとりで起業しても、仕事が来なかったら食うに困ることになるのではと考えるかもしれませんが、何とかなります。本当に仕事が来なかったら、一時的にバイトでもして凌いでもいいのです。

 

好きな事だけをするストレスフリーなひとり起業がベストです。

 

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