幸福感を向上させるモノ
満たされている
人がこれで「十分」であると理解することはむずかしいです。
どうしても、他の人と比較してしまいます。
しかし、比較するとキリがありません。上には上がいるため永遠に満たされることはありません。
自分の中であるいは身内の中で、信念を確立しておかないと比較するくせが出てしまうのです。
信念ができあがっていると比較をする必要性がないため、自分はこれで「十分」という考えを持つことができます。
自分でコントロールできる
「幸福感」は人生を自分でコントロールできているという実感が持てることです。
これはフリーランサーの幸福感が高いことと一致します。
サラリーマンでは自分に決定権がなく自分でコントロールすることができません。
経済面だけで判断すると、アメリカでは年収800万円以上、日本では手取り450万円以上で幸福感の上昇が頭打ちになります。それ以上に収入が増えても比例して幸福感は増えません。
食うに困らない程度の収入を得ると、お金で得る幸福感がマックスをむかえます。
お金で幸福感を増す限界値に達します。
では、そこからは何で幸福感を増していくことになるのか?
それは「自由」です。
だれからも拘束されずに自分が好きなことを自由にできる、
「自分でコントロールできる」ことです。
この「自分でコントロールできる」状態が幸福感を増していきます。
しかし、「自分でコントロールできる」状態を手にいれるためには、まず経済的に自由になる必要があります。
ご飯を食べる、家族を養う、今後、将来にわたって平均的な生活をして行くことができる算段ができるぐらいには経済的に自立する必要があります。
日々の食事に困る、住むところに困る、電気・ガス・水道代にも困る状態であれば、自分が納得のいかない、裁量権のない仕事でも受けて経済的に賄う必要があります。これは自分でコントロールできてない状態です。
自分でコントロールできるためには最低限の経済的な自立は必要です。この最低限の程度をできるだけミニマムに抑えることが「十分」を知ることになります。
経済的自立を確保すると、自分でコントロールできる世界に踏み出すことができます。
嫌な仕事であれば、断ればいいことになります。断っても食うに困ることはないのです。苦痛を感じながら仕事をする意味がなくなるのです。
ただし、大きな足かせとなるのがマイホームです。
低金利で借りて、残ったお金は株式などの比較的高金利(リターン)が期待できるものにまわし、その金利差で利益とマイホームを得るという方法も計算上は理にかなった方法です。
しかし、借金があるということは「自分でコントロールできる」の脚をひっぱります。低金利の確実性(低金利でも確実にマイナスとなる)と株式による高金利の不確実性(過去の実績から高金利とはいえ毎年の変動は大きい)を考えた場合、確実性の高い現在実施してる仕事(サラリーマン)を辞めるわけにはいかないのです。(報酬としてもらえる給料は少ないが確実性は高い)
なぜ、みんな大好きなことで生きていこうとしないのでしょう
一つには経済的自立ができていないことがあります。
しかし、「十分」という生活ができており、将来的な経済的な自立の目途は立っていても、好きなことで生きていこうとしない人がたくさんいます。
もう一つは、大好きなことで生きている人が周りにいなくて、やり方がわからないという実情があります。
もし、好きなことで生きている人が周りにいっぱいいたら、
「あれ?俺何やってるんだ?好きでもないことを・・・」
と気づきます。
みんながまんして仕事をして、給料というものをもらっているのだから、自分だけが好きなことをして生きていけるわけがないと思い込んでしまうのです。
好きなことで生きている人をもっともっと増やす必要があります。
アメリカではフリーランスが就業者の4割を占めているということです。
フリーランスだからすべての決定権があり、好きなことをして生きているわけではないと思います。食べるのに困って好きでもない仕事を請け負ってしまっているフリーランサーもいると思います。
しかし、雇われる立場のサラリーマンよりフリーランサーは自分で決める決定権を持っています。好きでもない仕事を請け負うこともありますが、それも自分で決定しているのです。選ぶ余地もなく仕事をさせられるサラリーマンとは異なります。
Karoshi
アメリカの総労働時間は決して短いわけではないですが、好きなことをしている感覚であれば、労働時間は関係なくなります。
好きでもないことを長時間行うからKaroshiというものが発生するのです。
好きなことをし続けて過労になる人はいません。過労はメンタル的なものです。
大好きなことで生きている世界は夢の世界ではなく、好きでもないことをしながら食いつないでいる世界とは異なり、いい意味で別人種が集うすばらしい世の中です。
幸福感の高い人生
長い人生で、幸福感が高い人生であったと言えるのは、
「たくさんの思い出をつくり、好きなことを好きなようにできた人生であった」
と最後に言えることである。