簡単な仕事の存在意義
「ボタンひとつで簡単に○○できるシステムはつくれないの?」
そんなことをよく言われます。
「ボタンひとつ」で何かができるのであれば、そのボタンを押す人も不要で自動で流れていけばよいのです。
ボタンを押すだけという段階までのシステムをつくり上げることができるなら、ほぼ自動化はできあがっています。
逆にいうとボタン一つでできないから人が存在しているのです。
ただし、このできないというものの中にはいろいろなものが存在していて、本当に人が介在しないとできないものなのか、人が介在する必要はないにもかかわらず、機械化できず人が機械のようなふるまいをしている場合もあります。
「すぐにやってくれ」という仕事の依頼があります。
依頼している方もその仕事は、はじめてしまえばすぐに完成することを知っているから「すぐにやってくれ」と言っているのです。作業として優先順位をあげてくれということです。
すぐに完成する仕事は本来、機械(システム)でできる仕事です。わざわざ人がするべき仕事ではないのです。
例えば、
・全く新しいシステムをはじめから構築する業務
・企画からはじまってプロモーションを経てリリースする商品
などは「すぐにやってくれ」とは言われません。すぐに取りかかってくれとは言われますが、今日、明日中に完成しろとは言われないのです。
「すぐにやってくれ」とか言われたりする仕事は、短期間で完成する仕事です。
では、なぜ短期間で完成するのか?
過去に前例があり、やり方としてはすでに完成された業務でみんなが短納期で完成すると認識している業務なのです。
業務の流れとして完成しているのであれば、人が手を加えて作業を行う必要はないのです。
このような視点で「すぐにやってくれ」という仕事をみていけば、人を介す必要のない業務を見つけ出すことができます。
これらはすべて機械(システム)で代行できる業務なのです。
人が介在して行う業務からすぐに完成する業務は消えてゆくのです。
業務内容ではなく時間軸で機械(システム)化できる業務を探すのも一つの方法です。
緊急業務の必要性
短納期業務と緊急業務は異なります。優先度の問題ですが、大抵緊急業務は短納期です。そして、短納期で対応ができる内容です。
あきらかに短納期で対応できない業務を緊急で依頼する人はいません。
短納期で依頼する業務を無くしていけば、途中で緊急な仕事が入って・・・という言い訳はなくなります。
途中で仕事が入っても緊急(短納期)業務ではないので、ペースを乱されることはありません。もとから時間がかかる業務ですので、時間配分調整は可能となります。
こうして「途中で緊急の業務が入って・・・」はなくなり、もちろん業務自体は増えるのですが、予定を大きく乱すような流れはなくなるのです。
人がじっくり考えて行う業務だけが、人が行う業務となっていきます。
緊急業務で人が動かされる事はなくなります。
さらに、緊急というのであれば機械(システム)の方が圧倒的に速く、正確な業務をこなします。
人の仕事
短納期業務をどんどん排除していけば、残るのは長納期業務だけです。
一つの業務をじっくり深堀して成立することだけが、人が行う業務になります。
時間が長ければ業務内容がどのようなものでもいいわけではありませんが、概ね時間のかかる業務は人が行う業務と分類しても差支えないです。
結局、熟考する業務になります。
人は考えることに膨大なエネルギーを消費するため、できるだけ考えないような行動をとります。
考えることができる脳を持ちながら考えないようにしようとするのです。ここは矛盾しますが、考えることに膨大なエネルギーを消費することは事実であり、飢餓のリスクを考慮すると考えることを避ける方がよいのです。
狩猟採集民族の時代は食料を保存することができないうえに、定期的に獲物を得る保障はありません。いつ獲物を獲得できるかは運まかせだったのです。
したがって、できるだけエネルギーを温存するために、省エネで生活することが求められました。その中でかなりのカロリーを消費する脳みそをできるだけ使わないことが省エネにつながったのです。
そのような生活が人類200万年の歴史の中でつい2万年前まで続いていたのです。人は考えようとすると「よろこんで!」とはならず「めんどうだ」となるように体を変えていき、省エネ体質になっていったのです。
ただ、現代は飽食の時代であり、食べたいと思えばいつでも食料を手に入れることができるようになりました。飢餓のリスクは限りなく低いです。
考えることに膨大なエネルギーを消費しても食料がなくなることはありません。
存分に考えても食料危機を招くことはありません。
これからは考えることが人が行う業務で仕事になる時代です。
短納期の仕事は人が関与しない業務になります。
ギリシア時代、仕事は奴隷がしていたため、それなりに裕福な人は「考えること」を行っていました。
哲学、文学、医学、芸術、科学などさまざまな「考えること」が花開いた時代でもありました。
現代では奴隷はいませんが、奴隷に代わる機械・システム・AIがあります。
再び考えることができる時代がやってきたのです。
食べ物の心配をせず思う存分、十分に考えることができるのです。
考えること → よろこんで!