共働き、子供二人、世帯年収はそこそこあるにも関わらず、裕福感がない状態
裕福感
裕福感を感じないのは、時間が無さすぎることに起因するものです。
労働時間を増やせば当然、収入は増えます。
時間を切り売りしている状態ですが、収入が増えるのは事実です。
しかし、上限があります。
時間の切り売りで労働対価をもらうと二人で一日48時間が限界値です。
実際は睡眠、家事、食事、 休憩など労働力を再生(次の日も健康で働くことができる状態)する時間も必要となりますので、 二人で一日24時間労働が限界です。
だた、 この限界いっぱいに働くと裕福感はなくなってしまいます。
物理的には満たされているのに、
精神的な部分である 裕福感は阻害されていきます。
裕福感を得るためには時間的な余裕が必要となります。
労働時間
産業革命で機械が導入され労働者の労働時間は爆発的に増えました。
コンピューターが導入されホワイトカラーの労働時間はどんどん増えていきました。
メールやインターネットが導入されすべての人の労働時間は増えました。
過去の歴史が物語っているように、AIがこれからどんどん浸透して も労働者の労働時間は減りません。
労働者の給料を増やす、 労働者の労働時間を短くする仕組みではないのです。
そもそも労働者を主体としたシステムではなく資本体制の労働力の中の一部として労働者がいるだけです。
会社が儲かり内部の資金がどんどん膨れ上がり、
しかも、 ここまでになるには相当利益をあげている会社で、
理論的には筋が通っているように感じます。
しかし、 本質は資本を増やすことが目的であり、 労働者の富が増すのは資本を増やすことに対して効率が失われたときに発生するにすぎないのです。
極端なことを言えば、 AIやロボットが労働力というカテゴリーのすべてをまかなえるのであれば、資本側にとって 人間という労働力を使う必要はありません。
ただ、 AIやロボットのコストと人間のコストを比較して人間のコストの 方が安いのであれば人間という労働力を使うことはあります。
資本を増やすことに対して理にかなっているからです。
労働力としてのAI vs 人間
同一労働であれば、資本体制の 原理的にはAIやロボットのコスト以上のコスト(給料) で雇われる人間はいないということになります。
今と同じような生活をするためには切り 売りしている労働時間を長くするしかありません。
資本体制として労働力は人間でなくてもよいのですが、
現状では資本を増やす最も効率がよい労働力が人間というだけです。
人間という労働力は感情を有しているが故に、 資本側にいろいろなものを求める面倒な輩です。
しかし、 現状では汎用性の高い最適労働力ですので致し方なく人間という労働力を使用している状態です。
資本体制(経済活動)の終焉
ここで問題となるのが低コスト(高利潤)で作られた商品を誰が購入するのか ということです。
しかし、 労働者はAIやロボットのコスト以下のお金しか持っていません。
労働者=コスト= 購入者ということです。
付加価値が高いもの、 一般の人が使用しないものを対象にして売り出すことになるでしょう。
労働者は生きていくためのものだけを消費して生きていく、
ますます「資本家側」と「資本家を儲けさせる側」の差は広がっていきます。
人の生活を豊かにするために繰り広げられてきた経済活動が、
資本はどんどん膨れ上がり、労働者はどんどん貧しくなるという何のための経済活動かわからなくなるのです。