後悔できない脳みそ

口は出すが手は出さない

こういう典型的な人がいます。
 
また、ずっと同じことを言っている人がいます。
間違ったことは言っていません。
内容は正論です。
 
しかし、その正論に向かって何かをするわけではないのです。
 
正しいことを正しいと言っているだけなのです。
 
また、遥か遠くの理想論を言ったりします。
それは悪いことではありませんが、
その理想に向かって、まず第一歩は何をすべきか考え、動くことはありません。
 
遥か先の正しい理想を言っておけば、
間違うことはないということです。
失敗することはないのです。
 
「ほら、俺が言った通りうまくいかなかっただろ」
と、結果が出てから言う人がいます。
 
確かに事がはじまる前に否定的な意見をしていたことは認めますが、
そこまで言うなら、その方向で動く前に全力で阻止してください。
後からではなんとでも言えます。
 
何か新しい動きをすると、ほぼ失敗します。
100回何かを行っても、成功は1つあるかないかです。
 
しかし、口は出しても動かなければ、
実質的な失敗はありません。
失敗を恐れる度合いが強い人は、
口だけになりがちです。
動くとほぼ失敗するから防衛反応が働くのです。
 
成功より失敗する方がはるかに多いということを
実感として感じることができればいいのですが、
完璧を目指すあまり、失敗しない方法を知らず知らずに身につけてしまいます。
 
言い出しっぺが損をするようなことを言う人がいますが、
それなら言い出さずに動いてくれればいいだけです。
 
言う言わないの問題ではなく、動く動かないの問題です。
かたちにはしていないが、
自分が考えたアイデアであるということは主張したいのです。
動いてかたちにしていないと意味がないのですが・・・
 
動いてはいないが
自分の存在価値を認めてほしいということです。
 
 
やはり、こういう人には魅力を感じません。
 
 
失敗を堂々とネタにして言える人は
度量があると感じます。
あんな失敗もした、こんな失敗もしたと失敗談が山のように出てきます。
しかも、かなり鮮明に失敗した内容を覚えているのです。
 
では、
その失敗をネタに話している人が失敗続きで悲惨な状態になっているかというと、
そういうことはありません。
数々の失敗を重ねてきたにもかかわらず、
悲壮感はありません。
どちらかというと余裕が漂っています。
失敗なんかはあたり前に起きることで、それがどうしたという感じです。
 
失敗耐性が強いこともありますが、
失敗を失敗と思えない脳みそになっていることもあります。
 
ただ、成功に向かってトライしているだけで、
「これはやってみてダメなことがわかった」程度に考えてしまいます。
 
脳みそがこんな感じになってしまうと、
いつまでも失敗をクヨクヨ考えることができない脳になります。
 
「後悔できない脳みそ」のできあがりです。
 
後悔とあせりは何も産まないと言いますが、
失敗したことを後悔していつまでもそのことを考えていると、
さらに考えが妄想を生み出しどんどん深みにはまっていきます。
 
「後悔できない脳みそ」になると失敗が失敗と感じないため、
深みにはまることもできなくなります。
 
後悔してしまう人は失敗を失敗ととらえてしまって、
そのことが頭の中で増幅されてしまい、
大したことではないことも本人の頭の中では大したことに
変換されてしまっています。
 
考えなければいいのですが、
ふと気づくとそのことを考えてしまっているのです。
そして、脳内で大きく、深くなっていきます。
 
 
これはもう動くしかないです。
 
 
「後悔できない脳みそ」の持ち主は言うより動くタイプです。
考えるより動いてしまうのです。
動いていないと考えてしまいます。
 
人は他の動物と違って、脳みそという考えることができる臓器を持っています。
このため走るより、飛ぶより、泳ぐより
一番得意とする「考える」をしてしまいます。
 
ところが、動くことによって失敗を「考える」ことから遠ざけてくれます。
そうしている間に失敗のことなど通常の出来事のように流れていきます。
 
「後悔できない脳みそ」の持ち主は
知らず知らずにそのような行動をとっているのです。
 
 
「言わずに動いて、失敗して、考えずに動いて、ネタにする」
 
 
これです。