現代人のダイエット
現在を生きる
時間は現実には存在しません。
過去・現在・未来とありますが、世の中には現在しか存在しません。
過去や未来を生きることはできないのです。
そして、時間の感覚をもっているのは人だけで、しかも現代人だけです。
昆虫や動物、植物も気候、気温などから情報としては感じていますが、絶対値としての時間は持っていません。
そのため「季節はずれ」をとらえることはできません。
例えば、8月が例年になく寒く、9月がいままでの8月のような暑さになると、動植物は人が設定した9月を8月であると認識します。
動植物は絶対的に容赦なく淡々と刻まれる時間に合わせるのではなく、気候・気温などの出来事に合わせているのです。
300年前ぐらいまでは人も出来事に合わせていました。
日が昇ったから畑へ向かう、森へ向かう、お腹が空いたからご飯を食べる。日が暮れたからそろそろ寝るという感じです。
7時になったから畑へ向かう、12時になったから昼飯を食べる。夜の11時になったからそろそろ寝るではないのです。
時間の創造
時間はどうして生まれるのでしょうか?
人が考えるからです。
「昨日のラーメンうまかったな・・・」
現在との差を考えて、過去を「昨日」と定義しています。
「5日後に資格試験だ」
現在との差を考えて、未来を「5日後」と定義しています。
ここで、はじめて時間が生まれます。
人が考えたときに時間ができあがっているのです。
人が過去あるいは未来を考えたときに、絶対基準である時間に照らし合わせて表現しているのです。
そのときに時間ができあがるのです。
つまり、考えることのない動植物には時間というものが存在しません。
記憶がない人は未来もない
さらに、過去の記憶がない人は未来を描くことができません。
人は現在を生きることしかできないのに、過去を振り返らないと未来が考えられないのです。
なんと不条理なのかと思うかもしれませんが、時間とはそういうものです。
記憶障害の人は未来を考えることができません。
過去に起きた出来事と比較して将来を予見しているので、過去にデータがない人は未来も想像することができないのです。
明日、バーベキューへ行くことになっているが、バーベキューとは何か?ネットで調べたらバーベキューのおおよそは理解できますが、どのような準備をしてその準備にどの程度の時間がかかるのか想像ができないのです。過去にデータがないと時間を見積もる(つくる)ことができません。
何が起きるか未知な未来を考えさせる
「今日が最後の日と考えると何でもできる」
と言います。
確かに最後だから思い切ってやりたいことをするという意味ではよくわかります。
これをやらずに人生を終わらせてもいいのか!と最後は踏ん張れるのです。
ただ、もう一方で「先のことはだれにもわからない」この事実があります。
現代人は将来を考えさせられるのです。
「今日が最後の日と考えると何でもできる」この効能は今日が最後だから思いっきりできるという効果の他に、将来を考えなければならないことからの解放による効果があります。
実はこの将来を考えることからの解放は精神的な不安を一掃することができます。
現代人はその日暮らしの生活を放棄しました。その日暮らしは最もしてはいけない生き方であると定義しています。
そのため、将来を考えずに生きる人間はダメなやつになります。
しかし、そのおかげで常に未来を考える必要が生まれています。
未来を考えて答えがわかった人は残念ながら一人もいません。
未来はだれにもわからないからです。
それなのに将来を考えない人間はダメなやつとなっています。
カテゴリー分け
なんとか系でひとくくりにしてしまう。そうすると、こまごまとしたパターンを考える必要がなくなります。
「意識高い系」と言ってしまえば、本当はそれぞれ異なるパターンがあるのでしょうが、それっぽい人はすべて意識高い系でひとまとめにすることができるのです。
まとめて、考えないようにする。それが脳みそを使わないようにする方法の一つです。
脳みそは恐ろしくエネルギーを消費します。
狩猟採集民族であれば、毎日獲物にありつけるわけではなく、いつ獲物を得られるかわからない状況です。できるだけエネルギーを温存したいのです。
長い年月をかけて、できるだけ人は考えないような体をつくりあげてきました。
現代人でもそれは受け継がれています。
人は何か物事を考えようとするとしんどくなります。問題が発生したときに少し考えて答えがでなければ、すぐに考えることをあきらめます。
考える作業はしんどいのです。エネルギーを消費するのです。
そのような状態を避けるために体は、考えたときに「しんどい」というサインを発して考えさせないようにします。
そして、カテゴリー分けして分類わけをしてしまえば、ある程度グループにできるので考える作業を減らすことができるのです。
考えることができる人の矛盾
この点が矛盾するところです。
考える能力は人に与えられた他の動物に勝る能力です。
しかし、実際はこの能力をできるだけ使わないようにしているのです。
人には考える脳みそは与えられたかもしれませんが、そこまで考える想定ではなく少し考える程度の予定だったのかもしれません。
しかし、農耕がはじまり、食料を貯えることができるようになり、いつ食料が手に入るかを日々気にする必要がなくなりました。
貧富の差ができはじめ、富を有する者は常に食料が潤沢に存在するようになりました。餓死することを恐れて、エネルギー消費を抑えることが不要になってきたのです。
考える作業を行ってエネルギーを使えるようになったのです。考えることが容易になり、考えることをいとわない人間もでてきます。
現在では大多数の人が食うに困るような時代ではなくなりました。考えてエネルギーを消費しても補える食料が常に存在します。
考えない人、考えられない人は落伍者としてあつかわれる時代です。
予期せぬ事態に備えるために考える必要があるのです。
現代は未来に何が起きるかわかりません。あらゆることを想定する必要があるのです。
このあらゆることを想定するために、いくら時間があっても足りなくなるのです。
いくら考えても想定外のことは起きるのです。
狩猟採集民族であれば、未来に何が起きるかを考える必要はなかったのです。狩りに出かけ獲物を獲得できるかできないかはそのときにより、獲得できなければ木の実で食つなぐしかないとなるだけです。それ以上のことを考える必要はないのです。想定外の出来事が起きることはないのです。将来に何の心配もなかったのです。
考えない人は辛い時代
狩猟採集の時代は考えない人が正解でした。
しかし、飽食の時代では考える人が正解となります。
どんどん考えてもいいのです。
体に与える信号として、考えることが苦痛、考えることが面倒ということがなくなるのです。
考えることは「楽しい」という信号がでるようになりそうです。
運動や食事制限をするより、考えることがダイエットになるかもしれません。