AIにはキツイのでは?
知識で勝ち目なし
膨大なデータを学んでいるAIに、知識の戦いで人はAIに勝つことができません。
今では生成AIがあり、はじめの数行を書けばあとは文章を自動で作成してくれます。しかも、人が読んでも違和感がない程度に作成します。
しかし、知識ではなく意味を考える問題であれば、簡単な問題でもAIに勝つことができます。
「わたしは彼がいつも手伝ってくれるので助かっている」
問い:手伝うのはだれ?
AIはこの文章の問いに答えることはできません。AIは膨大なデータから統計を取ります。彼が手伝うことが多いという統計がでれば「彼」と答えますが、どこにもそのような統計はありません。
あるいは、「わたしは彼がいつも手伝ってくれるので助かっている」という問いが過去に何回か存在して、その答えが「彼」であったら「彼」と答えることになります。
AIは「わたしは彼がいつも手伝ってくれるので助かっている」この文章の意味を理解することはできないのです。人は過去の膨大なデータはもっていませんが、この問いに答えることができます。この一文だけで「意味」を理解するからです。
今、AIに膨大な知識を読み込ませています。
果たして、膨大なデータを読み込んでいる間に意味が理解できるようになるのでしょうか。
わたしは、意味が理解できるようにはならないと思います。
「意味」のロジック
「意味を理解する」この作業は脳内でどうなっているのでしょうか。
これが解明できれば、AIにもこのロジックを組み入れれば、意味を理解させることができると考えます。
わたしが思う「意味を理解すること」は映像として想像している現象ではないかと考えます。
小説を読んでいるとき、人は文字だけから主人公の漠然とした人物像を思い浮かべます。細身ですらっとしているのか、強面の顔をしているのか、美人系なのか、かわいい系なのか、優しい顔をしているがココロでは怖いことを考えている人なのかなど人それぞれですが、人物像を浮かべています。
先程の「わたしは彼がいつも手伝ってくれるので助かっている」というこの短い文章でも映像を浮かべることができます。
映像を浮かべることで意味を理解しているのではないかと考えています。
つまり、映像に置き換える能力があれば、意味を理解できるのではないかと考えます。
人工意識
少し話はそれますが、意味を理解するうえで意識というものが必要になります。
人工意識というものです。
人は睡眠を取ることによって一旦、現実と切り離されます。しかし、目が覚めると切り離されていた現実に戻ります。
なぜ、このような事ができるのでしょうか。
寝たときの記憶があり、その場所で起きれば目が覚めて見た映像で見覚えがあれば、一旦切り離された記憶をつなぐことができると思います。
しかし、寝たあとで移動され、全く別の行ったことのない場所で目覚めた場合、一瞬戸惑いますが、自分であることは理解できます。
ここはどこだ?とはなりますが、わたしはだれだ?とはなりません。
寝る前の自分と現在の自分が同じであると認識はできているのです。
自分が自分であると認識できる箇所(脳内のどこか)は休むことなく常に動いているのかもしれません。
ただ、常に人工知能を動かしていても意識が芽生えることはないと考えます。
生成AI
画像を生成できるAIがあります。画像を表現できるので意味を理解できるように感じますが、基本的には模写です。膨大な量の画像をデータとして持ち合わしているので、大外れしない画像を重ね合わせて、境界線はぼかしているようなものです。しかし、人にはそれなりの絵に見えます。
意味を理解してそうしているわけではないのです。
文章も長文を生成しだすと全体としての方向性が失われて行きます。
「で、結局何がいいたいの?」
というような長文ができあがるのです。
地球外生命体
地球以外にも高度な生命体が存在してもおかしくないです。しかし、その痕跡は見つかっていません。何らかの生存が発せられても不思議ではないのに。。。
同じような生命としての末路をたどっている可能性があります。
AIのようなものをつくりだし、特異点(AIが自らを改良する)を超えたとき、AIにとって人の存在意義はなくなります。極端な場合、AIにとって人は邪魔な存在になっていくかもしれません。
未知の世界に挑もうとする「バカ」な精神は生命(人)しか持ち合わせていないのです。
石器時代のサピエンスは海の向こうに見えていない島をめがけて舟を出したりしていました。何もなく島にたどり着くことができないと、そのまま海の上で死ぬことになるのです。それでもあの海の向こうには何かがあるのではないかと思い、未知の世界に挑んでいったのです。
それくらい「バカ」なのです。
AIだけになった世界では、AIがわざわざ宇宙に向けて存在を発信する意味はないのです。未知への挑戦はしないのです。AIがそんな意味のない「バカ」なことを思いつかないのです。
せっかく高度な文明を築いたとしても、このようなことが繰り返され、地球外生命体の痕跡が見つからないのかもしれません。
簡単な仕事の存在意義
「ボタンひとつで簡単に○○できるシステムはつくれないの?」
そんなことをよく言われます。
「ボタンひとつ」で何かができるのであれば、そのボタンを押す人も不要で自動で流れていけばよいのです。
ボタンを押すだけという段階までのシステムをつくり上げることができるなら、ほぼ自動化はできあがっています。
逆にいうとボタン一つでできないから人が存在しているのです。
ただし、このできないというものの中にはいろいろなものが存在していて、本当に人が介在しないとできないものなのか、人が介在する必要はないにもかかわらず、機械化できず人が機械のようなふるまいをしている場合もあります。
「すぐにやってくれ」という仕事の依頼があります。
依頼している方もその仕事は、はじめてしまえばすぐに完成することを知っているから「すぐにやってくれ」と言っているのです。作業として優先順位をあげてくれということです。
すぐに完成する仕事は本来、機械(システム)でできる仕事です。わざわざ人がするべき仕事ではないのです。
例えば、
・全く新しいシステムをはじめから構築する業務
・企画からはじまってプロモーションを経てリリースする商品
などは「すぐにやってくれ」とは言われません。すぐに取りかかってくれとは言われますが、今日、明日中に完成しろとは言われないのです。
「すぐにやってくれ」とか言われたりする仕事は、短期間で完成する仕事です。
では、なぜ短期間で完成するのか?
過去に前例があり、やり方としてはすでに完成された業務でみんなが短納期で完成すると認識している業務なのです。
業務の流れとして完成しているのであれば、人が手を加えて作業を行う必要はないのです。
このような視点で「すぐにやってくれ」という仕事をみていけば、人を介す必要のない業務を見つけ出すことができます。
これらはすべて機械(システム)で代行できる業務なのです。
人が介在して行う業務からすぐに完成する業務は消えてゆくのです。
業務内容ではなく時間軸で機械(システム)化できる業務を探すのも一つの方法です。
緊急業務の必要性
短納期業務と緊急業務は異なります。優先度の問題ですが、大抵緊急業務は短納期です。そして、短納期で対応ができる内容です。
あきらかに短納期で対応できない業務を緊急で依頼する人はいません。
短納期で依頼する業務を無くしていけば、途中で緊急な仕事が入って・・・という言い訳はなくなります。
途中で仕事が入っても緊急(短納期)業務ではないので、ペースを乱されることはありません。もとから時間がかかる業務ですので、時間配分調整は可能となります。
こうして「途中で緊急の業務が入って・・・」はなくなり、もちろん業務自体は増えるのですが、予定を大きく乱すような流れはなくなるのです。
人がじっくり考えて行う業務だけが、人が行う業務となっていきます。
緊急業務で人が動かされる事はなくなります。
さらに、緊急というのであれば機械(システム)の方が圧倒的に速く、正確な業務をこなします。
人の仕事
短納期業務をどんどん排除していけば、残るのは長納期業務だけです。
一つの業務をじっくり深堀して成立することだけが、人が行う業務になります。
時間が長ければ業務内容がどのようなものでもいいわけではありませんが、概ね時間のかかる業務は人が行う業務と分類しても差支えないです。
結局、熟考する業務になります。
人は考えることに膨大なエネルギーを消費するため、できるだけ考えないような行動をとります。
考えることができる脳を持ちながら考えないようにしようとするのです。ここは矛盾しますが、考えることに膨大なエネルギーを消費することは事実であり、飢餓のリスクを考慮すると考えることを避ける方がよいのです。
狩猟採集民族の時代は食料を保存することができないうえに、定期的に獲物を得る保障はありません。いつ獲物を獲得できるかは運まかせだったのです。
したがって、できるだけエネルギーを温存するために、省エネで生活することが求められました。その中でかなりのカロリーを消費する脳みそをできるだけ使わないことが省エネにつながったのです。
そのような生活が人類200万年の歴史の中でつい2万年前まで続いていたのです。人は考えようとすると「よろこんで!」とはならず「めんどうだ」となるように体を変えていき、省エネ体質になっていったのです。
ただ、現代は飽食の時代であり、食べたいと思えばいつでも食料を手に入れることができるようになりました。飢餓のリスクは限りなく低いです。
考えることに膨大なエネルギーを消費しても食料がなくなることはありません。
存分に考えても食料危機を招くことはありません。
これからは考えることが人が行う業務で仕事になる時代です。
短納期の仕事は人が関与しない業務になります。
ギリシア時代、仕事は奴隷がしていたため、それなりに裕福な人は「考えること」を行っていました。
哲学、文学、医学、芸術、科学などさまざまな「考えること」が花開いた時代でもありました。
現代では奴隷はいませんが、奴隷に代わる機械・システム・AIがあります。
再び考えることができる時代がやってきたのです。
食べ物の心配をせず思う存分、十分に考えることができるのです。
考えること → よろこんで!
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第1弾『忘れる投資術』
現代人のダイエット
現在を生きる
時間は現実には存在しません。
過去・現在・未来とありますが、世の中には現在しか存在しません。
過去や未来を生きることはできないのです。
そして、時間の感覚をもっているのは人だけで、しかも現代人だけです。
昆虫や動物、植物も気候、気温などから情報としては感じていますが、絶対値としての時間は持っていません。
そのため「季節はずれ」をとらえることはできません。
例えば、8月が例年になく寒く、9月がいままでの8月のような暑さになると、動植物は人が設定した9月を8月であると認識します。
動植物は絶対的に容赦なく淡々と刻まれる時間に合わせるのではなく、気候・気温などの出来事に合わせているのです。
300年前ぐらいまでは人も出来事に合わせていました。
日が昇ったから畑へ向かう、森へ向かう、お腹が空いたからご飯を食べる。日が暮れたからそろそろ寝るという感じです。
7時になったから畑へ向かう、12時になったから昼飯を食べる。夜の11時になったからそろそろ寝るではないのです。
時間の創造
時間はどうして生まれるのでしょうか?
人が考えるからです。
「昨日のラーメンうまかったな・・・」
現在との差を考えて、過去を「昨日」と定義しています。
「5日後に資格試験だ」
現在との差を考えて、未来を「5日後」と定義しています。
ここで、はじめて時間が生まれます。
人が考えたときに時間ができあがっているのです。
人が過去あるいは未来を考えたときに、絶対基準である時間に照らし合わせて表現しているのです。
そのときに時間ができあがるのです。
つまり、考えることのない動植物には時間というものが存在しません。
記憶がない人は未来もない
さらに、過去の記憶がない人は未来を描くことができません。
人は現在を生きることしかできないのに、過去を振り返らないと未来が考えられないのです。
なんと不条理なのかと思うかもしれませんが、時間とはそういうものです。
記憶障害の人は未来を考えることができません。
過去に起きた出来事と比較して将来を予見しているので、過去にデータがない人は未来も想像することができないのです。
明日、バーベキューへ行くことになっているが、バーベキューとは何か?ネットで調べたらバーベキューのおおよそは理解できますが、どのような準備をしてその準備にどの程度の時間がかかるのか想像ができないのです。過去にデータがないと時間を見積もる(つくる)ことができません。
何が起きるか未知な未来を考えさせる
「今日が最後の日と考えると何でもできる」
と言います。
確かに最後だから思い切ってやりたいことをするという意味ではよくわかります。
これをやらずに人生を終わらせてもいいのか!と最後は踏ん張れるのです。
ただ、もう一方で「先のことはだれにもわからない」この事実があります。
現代人は将来を考えさせられるのです。
「今日が最後の日と考えると何でもできる」この効能は今日が最後だから思いっきりできるという効果の他に、将来を考えなければならないことからの解放による効果があります。
実はこの将来を考えることからの解放は精神的な不安を一掃することができます。
現代人はその日暮らしの生活を放棄しました。その日暮らしは最もしてはいけない生き方であると定義しています。
そのため、将来を考えずに生きる人間はダメなやつになります。
しかし、そのおかげで常に未来を考える必要が生まれています。
未来を考えて答えがわかった人は残念ながら一人もいません。
未来はだれにもわからないからです。
それなのに将来を考えない人間はダメなやつとなっています。
カテゴリー分け
なんとか系でひとくくりにしてしまう。そうすると、こまごまとしたパターンを考える必要がなくなります。
「意識高い系」と言ってしまえば、本当はそれぞれ異なるパターンがあるのでしょうが、それっぽい人はすべて意識高い系でひとまとめにすることができるのです。
まとめて、考えないようにする。それが脳みそを使わないようにする方法の一つです。
脳みそは恐ろしくエネルギーを消費します。
狩猟採集民族であれば、毎日獲物にありつけるわけではなく、いつ獲物を得られるかわからない状況です。できるだけエネルギーを温存したいのです。
長い年月をかけて、できるだけ人は考えないような体をつくりあげてきました。
現代人でもそれは受け継がれています。
人は何か物事を考えようとするとしんどくなります。問題が発生したときに少し考えて答えがでなければ、すぐに考えることをあきらめます。
考える作業はしんどいのです。エネルギーを消費するのです。
そのような状態を避けるために体は、考えたときに「しんどい」というサインを発して考えさせないようにします。
そして、カテゴリー分けして分類わけをしてしまえば、ある程度グループにできるので考える作業を減らすことができるのです。
考えることができる人の矛盾
この点が矛盾するところです。
考える能力は人に与えられた他の動物に勝る能力です。
しかし、実際はこの能力をできるだけ使わないようにしているのです。
人には考える脳みそは与えられたかもしれませんが、そこまで考える想定ではなく少し考える程度の予定だったのかもしれません。
しかし、農耕がはじまり、食料を貯えることができるようになり、いつ食料が手に入るかを日々気にする必要がなくなりました。
貧富の差ができはじめ、富を有する者は常に食料が潤沢に存在するようになりました。餓死することを恐れて、エネルギー消費を抑えることが不要になってきたのです。
考える作業を行ってエネルギーを使えるようになったのです。考えることが容易になり、考えることをいとわない人間もでてきます。
現在では大多数の人が食うに困るような時代ではなくなりました。考えてエネルギーを消費しても補える食料が常に存在します。
考えない人、考えられない人は落伍者としてあつかわれる時代です。
予期せぬ事態に備えるために考える必要があるのです。
現代は未来に何が起きるかわかりません。あらゆることを想定する必要があるのです。
このあらゆることを想定するために、いくら時間があっても足りなくなるのです。
いくら考えても想定外のことは起きるのです。
狩猟採集民族であれば、未来に何が起きるかを考える必要はなかったのです。狩りに出かけ獲物を獲得できるかできないかはそのときにより、獲得できなければ木の実で食つなぐしかないとなるだけです。それ以上のことを考える必要はないのです。想定外の出来事が起きることはないのです。将来に何の心配もなかったのです。
考えない人は辛い時代
狩猟採集の時代は考えない人が正解でした。
しかし、飽食の時代では考える人が正解となります。
どんどん考えてもいいのです。
体に与える信号として、考えることが苦痛、考えることが面倒ということがなくなるのです。
考えることは「楽しい」という信号がでるようになりそうです。
運動や食事制限をするより、考えることがダイエットになるかもしれません。
ないものをコントロールする虚構
ジカンとは
本来「時間」という概念は人間が勝手につくりあげた概念であり、現実としては存在しません。
狩猟採取民族では、日の出、日の入りなど大雑把には存在していましたが、現代ほどの共通認識的な概念はありませんでした。
人を一斉に動かすために都合のよいルールが必要であったと考えます。
村ぐらいの少人数であれば、集合時間を日の出から「しばらく」でもいいのですが、人数が増えてくると、日の出から「しばらく」ではすべての人を集めることができません。
人によって「しばらく」の感覚が異なるからです。
狩猟採取民族であれば、1,2時間狩猟採取時間が遅れても問題ありませんが、工場勤務では1,2時間も就業時間が変動しては困るのです。
時間を効率的に使うワナ
時間を効率的に使い、生産性をあげればあまった時間でゆったりと過ごすことができると考えますが、現実は異なります。
生産性をあげればあげるほど余分な仕事が増えていきます。
空いた時間に別の仕事が入ってくるのです。
パソコンが普及すると手書きがなくなり、大幅に時間を短縮することができると思われていましたが、いまではそれが幻想であったことがわかります。
確かに、手書きは無くなりましたが、手書き時代とは比べものにならない膨大な量の書類がつくられています。
メールが生まれたとき、これからは一瞬で連絡が届き生産性が各段に上昇し、仕事が楽になると思われましたが、現実は逆です。
毎日、膨大なメールが届くようになりました。処理できるレベルを超えています。
時間を短縮できるツールができてもそれに代わる仕事がどんどんつくられていきます。
時間を効率的に使ってもどんどん埋められてしまうのです。
締め切りを伸ばすとさらに時間がかかる
1週間程度でできそうな業務を余裕をみて納期設定を2週間とすると、2週間以上かかってしまいます。
必要以上に期間を延ばせば延ばすほど、その間に外乱が入る余地が増えてしまいます。実際にその業務に必要な時間は決まっており、期間を延ばしてもその業務に携わった時間は同じです。期間を延ばせば延ばすほど、間に入る別の業務が増えるだけです。
時間を有効に使おうとしてもうまくいきません。
時間は人が創り出した概念でそもそも存在しないものです。存在しないものを使うという不思議な状態となっています。存在しない時間を支配することに無理があるのです。
未来を考える危険性
将来像を描くのはよいのですが、未来を考えることで、現在を疎かにしてしまうという問題が発生します。
未来が見える人はいません。
一歩踏み出すと、足元が少し見える程度で遠い先を見ても霧に隠れて見えません。
一歩進むとまた少し先が見える、さらに一歩進むとさらに少し先が見えるという感じです。
タイムリープをしない限り、未来や過去に生きることはできません。人は現在しか生きることができないのです。
将来のためのガマン
将来のために今はガマンを繰り返すことは正しいのでしょうか。
将来のために今はゲームをせず、勉強をする。
将来のために今はテレビを見ず、塾にいく。
将来のために今は旅行に行かず、貯金をする。
将来のために今はサーフィンをせず、資格勉強をする。
など、「将来のため」を理由に今の楽しみを殺しています。
将来からみて延長線上に今があり、そのために今を行動しているのであれば、そんなすばらしいことはありませんが、ほとんどの人はそこまで明確な道しるべを持っていません。
さらに、いうのであれば、今を犠牲にしても将来は保証されていません。その夢見る将来が永遠に訪れない可能性もあります。
今を犠牲にする生き方に幸福感はあるのでしょうか。
そして、今を犠牲にする行動はどこで辞めればいいのでしょうか。
おそらく、一生涯において経済的な不安がなくなったところで、今を犠牲にすることはなくなるのでしょう。
しかし、この一生涯における不安は果たしてなくなるでしょうか。
未来では何が起きるかわかりません。
・平均寿命が150歳になるかもしれません。
・病気で亡くなることがなくなるかもしれません。
・お金の価値そのものがなくなるかもしれません。
・人と機械が戦う世界になってるかもしれません。
未来を完全に当てることはだれにもできません。
この変化の激しい世の中を考えた場合、死ぬ数年前でも、死ぬときには世の中が変化してるのです。つまり、死ぬまで不安はなくならないということです。
こう考えると未来を考えることに意味はなくなります。すべての人は、今現在しか生きることができないのですから。
時間の概念は必要なのか
ここ300年より以前までは、人はほとんど変化のない時代を生きていました。
生まれて、成長して、年老いて死んでいく、これがおじいさんの時代、孫の時代でもほとんど変化せず繰り返されてきました。
変化のない世界で、未来を考える必要はありません。
将来的に変わらないので未来がどうなるのだろうと悩む必要がないのです。
先が見えており、未来に何が起きるかの不安はありません。おじいさんが歩んだ道を踏襲するだけです。
時間という概念が重要となり、将来(未来)を考えるようになったのは、つい最近で世の中の変化速度が早くなったことによります。
おじいさんと孫では全く異なる世の中を生きることになるのです。
しかも、孫の代ではどのような世の中になっているかは、だれも予測できないのです。
現代人は、だれも予測できない未来に対して漠然とした不安を抱えて生きているのです。
では、どうすればいいのか?
今を犠牲にしないことです。
そして、一つのことに固執しないことです。
臨機応変に変化しながら今を進んでいくのです。未来はどんどん変化するものととらえて、変化を楽しみながら進むのです。
現代では変化の度合いが激しいため、未来を心配しても意味がなくなっています。思っていた未来とは全く異なる未来が現れるので考えても意味がないのです。
もう一つの方法として、
『人新世の資本論』でも紹介されていましたが、成長しない経済を目指せば、未来への不安を抱えることはなくなり、今にフォーカスして生きることができるのです。
経済は成長することが前提となっていますが、成長至上主義もそろそろ終えてもいいのかもしれません。
出版、おめでとう! 第5弾!
新しいNISAが2024年1月からはじまります。
いままでのNISAと何がちがうの?
一番の違いは非課税期間が有限から無期限になったことです。
いままでは期限がありましたが、これからは期限がありません。
永久に儲けた利益に税金がかからないということです。
これはおそろしいくらいお得です。
課税口座で運用している資金は売ってでも、新しいNISAへ移行する方がいいのか?
と悩んでいる方は、ぜひ、ご覧ください。
出版、おめでとう! 第4弾
https://www.amazon.co.jp/dp/B0BVHKX8R9/
株式投資に関する本で名著、「投資のバイブル」と呼ばれる本があります。
『ウォール街のランダム・ウォーカー』です。
しかし、この本、翻訳本であるうえ厚みが3cm以上のハードカバーで、文字も小さく500ページ近くある大著です。
しかも、お値段も高く2,750円もします!
普段からこの分厚さを読んでいる人か、株式投資に対して並々ならぬ情熱がある人以外は完読することは困難です。
「見た瞬間、これは手が出ない・・・」
と感じてしまいます。
いくら株式投資のバイブルと言われても、ちょっと簡単に読む気にはなれない本です。
有名で読むべきだと思うけど・・・
・読むのが面倒
・本を読むことが苦手
・分厚いので最後まで読み通す自信がない
・読んでも理解できなさそう
・端的に教えてくれ
・時間がない
・要点だけを知りたい
・要約を見て面白そうだったら本物を読むつもり
という方のために、この手がなかなか出ない、手を出しても途中棄権しそうなこの大著攻略として、わたしなりに、さらっと読めるように要約をしました。
この要約本だけで「概略は理解した」としてもいいですし、この要約本をステップにして大まかな部分を理解したうえで、本物の『ウォール街のランダム・ウォーカー』を読むのもいいと思います。
よろしくお願いします!!