つかれる動き 労働

仕事=労働

 

就活をしている学生が大多数です。


一生懸命に就職しようとしている状態から察すると、

雇われる」という道を選択したがっているように見えます。

それとも会社に就職することが、現在考えられる最適解として

洗脳されているということでしょうか

時期が来たら会社に就職するように十数年もかけて洗脳されています。

それが普通になっています。

普通の概念がよくわかりませんが)


ただ、最近は学生もいろいろな考えを持つことが許されるようになりました。

これだけ情報の垣根がさがると、情報拡散を抑えることができないうえに洗脳ができないようになり、

 

必ずしも会社に就職することが最善であるとは考えなくなっているようにも感じます。

 仕事の価値 

 

ここまで世の中が複雑になると自分がしている仕事もなんで儲けが出ているのか、

何の役に立っているのか不思議に感じてきます。

何かよくわからないけどシステムとしてできあがっており、

その通りにやっていれば、理由はわからないが自分自身の生活がなりたっているという感じです。
生活ができている現状を変えてしまって生活できなくなったら困るし、

それほど満足はしていないが暮せている。

不満はあるものの暮せている。

リスクを取って生活を変えて他のことをする動機が生まれないのも事実です。

大きな会社になればなるほど、お客様に直接ものを売っているわけでもなく、

その代金を直接もらっているわけでもない。

間にいろいろなものが複雑に存在してわけがわからなくなり、

会社」対「会社」の間でお金(デジタルな数字)だけが移動している状態です。

そして会社が取り分をとった後で労働者へ分配されます。

 

ただ、会社側としては景気の変動に比例して

労働者の給料を大きく変動させることができないので、

変動分は会社で吸収する必要があり、景気の変動が起きても耐えられるように

労働者への分配は極力低いレベルに抑えておく必要があります。

 人を雇う側 

ここが雇う側の腕の見せ所で、

雇われている人間が食うに困らない程度に給料を与えることです。
雇われる側は成果に対して給料が決められているわけでなく、

悲しいですがそこそこ食えるかどうかで給料は決まってしまいます

雇われる側の人間はそこそこ食える分しか給料はもらえません。

したがって、サラリーマン(雇われる側)であれば、

給与はどんぐりの背比べでそれほど大きな差は生まれない構造となっています。

資本家(雇う側)と労働家(雇われる側)では生涯年収は1000倍以上違います。

桁が一つ違うのではなく、3桁違います。

驚くほど資本第一主義です。

フリーランス 

では、全員がフリーランスになるとどうなるのでしょう?
全員が個人事業主になるのですが、

サラリーマンのような低給料では成り立ちません。

常に仕事がある状態を保てるわけではない(保てる人もいますが)ので、

仕事をしない時期の分も仕事があるときに稼いでおく必要があります。

また、サラリーマンのように会社が負担している保険などもありませんの

その分も稼ぐ必要があります。
フリーランスになると自由度は増し単価は上がりますが、

オファーがない時期という恐怖が発生することになります。

また、全員がフリーランスで食べて行けるとは思えません。

オファーが全くない人も当然現れてきます。

結局、食えないフリーランス

オファーが大量に来る人気フリーランスのおすそ分けをもらって、

稼ぐ必要があります。

人気フリーランスの下請けのようになり、

この状態が大々的にシステム的に行われると

「会社」という形態と同じ状態になります。

食えないフリーランスは現在のサラリーマン(雇われる側)と同じになります。

フリーランスはサラリーマンより高収入になりますが、その分シビアな世界です。

 看板を掲げる 

会社に勤めるサラリーマンも一人ひとりが何らかの看板を掲げると

おもしろいと思います。


そして、世の中に公開するのです。


「わたしは〇〇を専門にしている△△です」


オファーが来るかもしれません。。。


さて、雇われる側、雇う側、どっちがいいのでしょう。

 

ただ、世の中は資本(第一)主義です。