仕事の概念は苦行であり、労働家として生涯を過ごすことである

好事

 

福山雅治さんが

 

「ここ15年間1日も休んだことがない。そもそもオンとオフがない。自分のやりたいことをしているだけで、遊びと仕事の区別がない。
というようなことを言っていました。

これこそが人生です。


では仕事とは?

 
「好きな事以外で対価をもらうこと」
これが仕事だと思います。
 
好きな事であれば「仕事」ではなくなり、
得るお金の有無は関係なくなります。
 
”仕える事”の「仕事」ではなく、
”好きな事”の「好事」とでも呼ぶのがよいかもしれません。
(但し、好事という言葉はすでに存在し別の意味になります)

10年ぐらい前から
「好きな事だけをして生きなさい」
と言われはじめましたが、
 
そんなことは夢物語で実現するはずがない
好きな事だけで生きていけるわけがない
仕事は楽しいことばかりではない
 
と10年ぐらい前は思っていましたが、
時代が変わり好きな事だけをして
生きていけることが現実味を帯びてきました。


しかし、なんで好きでもないことをして、
「苦行」のように続けなければならないのでしょう。

苦行としてがんばったその見返りとしてお金をもらっている
というのが答えになりそうですが、
はたしてその見返りは苦行に見合った見返りになっているのでしょうか。

資本主義という理解しにくい(実は単純?)システムに組み込まれ、
何も考えず労働(苦行)の対価として給料を受け取ることが
極あたり前になっています。

サラリーマンの場合、その苦行の対価は産み出す価値の2割程度で、
明らかにローリターンです。
 
ローリスク・ローリターンであれば納得もできます。

 

ローリターンは確かですが、はたしてローリスクでしょうか。

 

資本家ではない労働家

  
雇われる側の人間は、人生の大部分を苦行につぎ込んでいます。

はじめは好きでもなかった仕事でも長く続けている間にそこそこできるようになり、
少し好きになったり、好きでも嫌いでもないような状態になります。
凡人で才能のない人でも、相当な時間をその仕事に費やしてきていますので、
トップクラスではないものの、その分野では上位に位置します。
 
その分野では世の中で上位に位置しているにも関わらず、
独立・起業などの方法を知らない、知らされていないので
そのようなことを考えたこともない。
あるいはリスクが大きいと洗脳されているなどの理由で、
どうしても現在の雇われる状況から一歩を踏み出すことできない状態に追い込まれています。
 
そして、
生み出す価値の2割程度(ローリターンであることも知らない)の報酬ですが、
食うに困らない程度はもらっているのでなんとなく納得をしています。

最終的には精神的な満足を得ず、だましだまし定年までそのまま仕事を続け、
退職金を受け取って辞める。
というレールができあがっています。

 


「退職金を受け取るまでよく我慢しました。。。ので高額(正確には高額でもないが)の退職金を差し上げます」という感じです。

 

退職金

 退職金が2000万円で60歳まで38年間お勤めをしたとして、

この退職金を月に換算すると月4万4千円(=2000万円/38年/12か月)です。
月々4万4千円分を最後にまとめてもらうために38年間もの長期我慢を強いられます。

月4万4千円?
 
長期拘束による苦行は、今よりプラス月5万円でまかなえます。
途中で会社を辞めても、高額の退職金がもらえなくなるという
負の気持ちは解消できます。

雇う側からすると退職金をアシカセにして低賃金で雇うことができます。
しかも、独立・起業する方法は教えていないので、
独立・起業はリスクが高いと洗脳すればうまくいきます。
雇う側にするとこのサイクルは良いサイクルです。
途中であきらめ、超長期で働き続けなかった労働者には退職金も払う必要はありません。

雇われる側の人間は、たとえローリターンでも暮らすことができないほど報酬が少ないわけでもないので、
リスクが高い(リスクが高いと思い込んでいる)ことをするよりも
安定しているし「まあいいか」となります。

ただ、実は雇われることがハイリスク・ローリターンで、
独立・起業がローリスク・ミドルリターンであるとすると考え方が変わってきます。

今では、ひと昔前の起業のように、
大きくマイナスからスタートすることはなくなりました。
0円で起業することもできます。

つまり、何かをはじめて失敗しても時間的ロスはあっても
金銭的ロスを無くすことができるようになりました。

ローリスクなので失敗しても怖くありません。
 
何がヒットするかわからない世の中です。
数を打ったもの勝ちです!